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わて泳げまへんねんてふ冬の鳥
きらきらと京が時雨れてをりにけり
父も又早世の人獺祭忌
​稲畑廣太郎 自選十句
​虚子記念文学館に帰省かな
立葵雫残して咲のぼる
柏餅ほんまに一年生かいな
​カラヤンの生家見つけもして立夏
​アンダンテカンタービレの春時雨
落第や世間を少し遠くして
お降にはんなり濡るる京言葉
赤ワイン
主宰
稲畑廣太郎
について

​●プロフィール

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稲畑廣太郎

著書一覧

『廣太郎句集』(花神社2001)
『半分 句集』(朝日新聞社)
『曽祖父虚子の一句』(ふらんす堂)
『八分の六 句集』(角川書店)
『玉箒 稲畑廣太郎句集』(ふらんす堂)

昭和32(1957)年兵庫県芦屋市に、稲畑順三、汀子の長男として生れる。父順三は稲畑合資会社(現稲畑香料株式会社)社員で、母汀子は当時稲畑家に於いて専業主婦をしていて、俳句は趣味であった。間もなくカトリック芦屋教会で洗礼を受ける。洗礼名はエドワード。

昭和33年頃同じ芦屋市に在住していた汀子の父髙濱年尾宅に滞在していた髙濱虚子に出会い、物怖じしない態度を示したということだが本人にはその記憶は無い。

昭和37年4月兵庫県神戸市にある私立甲南幼稚園に入園する。その後小学校、中学校、高等学校、大学と甲南学園をエスカレーター式に進学する。本来なら昭和55年に大学を卒業する予定であったが、ドイツ語の教授に好かれ、早い話が単位を残し、2年留年して昭和57年3月甲南大学経済学部を卒業。年子の妹が大学の1年先輩として先に卒業することとなる。

同年4月合資会社ホトトギス社入社。本格的に俳句の道に進むこととなる。当時の編集長はホトトギス同人松尾緑富氏。氏は徹底した職人気質で「仕事は盗め」という主義であった。昭和63年1月ホトトギス同人、同時に俳誌ホトトギス編集長就任。平成12(2000)年2月22日に芦屋市に公益財団法人虚子記念文学館開館。理事(その後常務理事)。平成13年公益社団法人日本伝統俳句協会常務理事。平成17年4月ホトトギス雑詠選者及び副主宰。平成25年10月ホトトギス主宰。現在に至る。

趣味はクラシック音楽。5歳から約10年ピアノを習う。現在はもっぱら鑑賞が多く、時代はモーツァルトから後期ロマン派の、交響曲等の大編成のオーケストラ曲が中心である。プラモデル制作も盛んにしていた時代があり、タミヤの35分の1ミリタリーミニチュアシリーズはほぼ網羅していた。料理も作り、子羊の香草風味焼、舌平目のボンファム、又豚肉の角煮、鰤の照焼等国籍を問わず休日には厨房に入っている。

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